新沖縄観光歴史ガイド・ブック 不思議・沖縄

高千穂はどこ?

古事記にはニニギノミコトは「竺紫の日向の国の高千穂の久士布流多気(クシフル岳)に天下った」と記されている。(注・竺紫と筑紫は字が違う)
古事記では竺紫の文字が日本書紀では筑紫となっている。このためか、従来、高千穂は九州宮崎県の高千穂であり、笠沙の岬は鹿児島の笠沙であると定めている。
しかし、地図上で計測してみると宮崎の高千穂から鹿児島の笠沙の岬(野間岬)までは百七十k以上も離れており、現実として百七十kと言う離れた場所から鹿児島の笠沙の岬は望めない。
常識的に考えたらすぐに判ることだが、人は天から山に降りて来たわけではなく、船に乗ってやって来て、海から陸へと上陸して来たのであり、上陸したら高千穂(峰)みたいな千五百メートル級の本格的な山に登山するのでは無く、すぐ近くの小高い丘に登って、先住民が近くにいないかどうか、安全確認することがなによりも先決である。
高千穂は一番海に近い延岡からでさえ直線距離で40k(高千穂峰は26キロ)も離れており、川を上陸し、道なき道、ジャングルみたいな所をかき分けて上っていくわけだから、累計50k〜80k、推定15〜30時間以上も係る地点までいくはずは無い。
ニニギは久士布流多気の上で「ここは韓国に向かい笠沙の御前に真っ直ぐに通じていて朝日の直刺す国。夕日の日照る国ぞ、云々」と述べるが、高千穂から鹿児島の笠沙の御前にまっすぐな方向にあるのは韓国ではなく台湾海峡であり、方向から言っても全く異なるのである。
このように笠沙の岬が望めない、海から離れ過ぎ、方向は全く逆なる、竺筑と筑紫と言う文字も異なる宮崎県の高千穂(或いは高千穂峡)は、彼等が初めに上陸した高千穂では無いと言う明確な結論に至るのである。※それでは本当の高千穂はどこか?なぜ本当の場所をあやふやにし倒語(サカシマゴト・味方にだけ判るように定めた言葉)にしたか、それはその場所にはお金(タカラ貝)があるからであり、秘密にしておきたい自分(天武)の出身地だからである。


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